ラブホスタッフ上野の恋愛相談〜恋人が差別をする人だった話〜
ご相談内容
今まで女性ばかりの環境で過ごしてきましたが、大学以降男性もいる環境で社会の隠れた(時には露骨な)男女差別を感じます。
感じないという人もいますし、気にし過ぎと思う人もいるのは分かっていますが、私は感じます。
ところで半年前から恋人ができました。年上で賢く優しい人で大好きです。
ですが時々彼を男性一般に拡大して見てしまうというか、男性はどうせこう思ってるんだろう、という先入観で気後れしたり疑心暗鬼になって彼の発言の揚げ足をとりそうになります。
この前彼の友だちの結婚について話していた時、彼はそんなこと一言も言っていないのに彼は結婚して尽くしてくれる女性が欲しいだけじゃないかなどと疑ってしまいました。
彼のことは本当に好きなのですが、社会と個人を混同してしまいます。
これは付き合いの長さが増え彼自身のことをもっと知れば解決するのでしょうか。
差別はしばらく無くならない
ご質問誠に有難うございます。
差別の善悪はともかく、少なくとも今の世界に差別があるのは間違いありませんし、おそらくは今後もしばらくの間は差別が無くなることはないでしょう。
もちろん、差別が無くなるのであればそれに越したことは御座いませんが、残念ながらしばらくの間、差別が無くなるとは到底思えません。
何故ならば、この世界には自分が差別をしているという自覚がないまま、差別をしている方が非常に多いから。
差別をしている方は得てして自分のことを差別主義者だと思っておりません。
例えばご質問者様が感じている「女性差別」ですが、この世には「俺は女性を差別するんだ!」なんて考えている人はほとんど存在しないのです。
多くの人は「自分は女性を差別していない」と考え、自分の行動を「正当なる区別」や「平等な振る舞い」だと思っております。
だからこそ差別は無くならないのでしょう。
差別をしている側にその自覚がないのです。自覚があればまだ改善が見込めるかもしれませんが、そもそも自覚がないのですから改善が見込めるはずもありません。
ご質問者様の周りにも、私の周りにもそんな方はたくさんいらっしゃいます。
そして、それは決して他人事では御座いません。
私もそう。
そしてご質問者様もまた自覚なき差別主義者であるのは間違い無いでしょう。
男はみんなこう考えている→差別
ご質問者様は「男は結局、尽くしてくれるだけの女性が欲しいと思っている」とお考えのようですが、
それは差別以外の何ものでも御座いません。
例えば私が「黒人は結局、尽くしてくれるだけの女性を求めている」と言ったら、間違いなく大々的に批判をされることでしょう。
しかし、それはご質問者様の考えと本質的に何も変わるところは御座いません。
差別とは、大きなカテゴリーで人をくくり、そしてそのカテゴリーの人間はみんなこうなんだ、とステレオタイプに判断することなのです。
ご質問者様が今行なっている行為はまさしく差別そのものでしょう。
もちろん今の日本に多かれ少なかれ男女差別があることは間違いありません。
そしてその差別によって少なからずご質問者様が割りを食らっているのもまた間違い無いでしょう。
しかし、その差別の一端をご質問者様自身が担っていることをどうかお忘れなきよう願います。
尽くしてくれるだけの人間がいるなら欲しい
ところでご質問者様は「男性は結局尽くしてくれるだけの人が欲しい」とお考えのようですが、逆にお聞きしたいことが御座います。
ご質問者様は「尽くしてくれるだけの人」が欲しくないのでしょうか?
私は欲しいです。
自分のために尽くしてくれる人。
そんな便利でメリットしかない人がもしも存在するのであれば、私は何人でもそんな人が欲しいです。
そして、おそらくこの世界に存在するほぼ全ての方は多かれ少なかれ、私と同じように「尽くしてくれるだけの人」を欲していることでしょう。
逆にお伺いしたいのです。
「尽くしてくれるだけの人」
そんな便利な人がいるのであれば、ご質問者様は欲しくないのでしょうか?
自分のために料理を作ってくれて、
自分のために洗濯をしてくれて、
自分のために掃除をしてくれて、
自分のために尽くしてくれる。
そんな便利な人間がもしも存在したとして、ご質問者様は欲しくないのでしょうか?
私は欲しいです。
0か100かで考えない
差別主義者になりやすい人の特徴に、物事を0か100かで考えるというものが御座います。
例えば日本には極悪非道な犯罪者が存在します。具体的な統計は御座いませんが、どれだけ少なく見積もっても100人くらいは存在することでしょう。
しかし、普通の人は100人くらい極悪非道な犯罪者がいたとしても「日本人は極悪非道な犯罪者だ!」なんて考えたりはいたしません。
何故ならば日本には1億2000万もの人間が存在し、その多くは善良な市民だからで御座います。
ところが「0か100か」で考える人間は、この考えが出来ません。
彼らには0と100しか存在しないので「0ではない=100」という判断になってしまうのです。
ですので100人しか存在しない極悪非道な犯罪者を見ただけで「日本人は極悪非道な犯罪者だ!」というような差別主義になってしまうのでしょう。
それでは今回のご質問について考えてみましょう。
ご質問者様は2つの意味で「0か100か」という思考を持っております。
まず1つ目。
「尽くしてくれる人が欲しいだけ」
そのように考えている男性は日本にそれなりの数が存在することでしょう。
しかし、それは日本人の男性の一部に過ぎません。
具体的に何パーセントなのかは分かりませんが、特に若い方の多くはそのような価値観を持ち合わせていないのです。
次に2つ目。
「尽くしてくれる人」が欲しくない人間など存在いたしません。
もちろん私だって「尽くしてくれる人」が存在するのであれば、少なからず欲しいという気持ちは御座います。
しかし、それは私の考えの全てでは御座いません。
確かに「尽くしてくれる人が欲しい」という気持ちは0では御座いませんが、決して100でもないのです。
人の感情は0か100かで割り切れるようなシンプルなものでは御座いません。
「尽くしてくれる人が欲しい」という気持ちが10くらいあって、
「相手に尽くしたい」という気持ちが10くらいあって、
「可愛い人が好き」という気持ちが10くらいあって、
「優しい人が好き」という気持ちが10くらいあって、
「話が合う人が好き」という気持ちが10くらいあって、
「セックスの相性が良い人が好き」という気持ちが10くらいある。
色々な感情が混ざり合って人間の感情は出来ているのです。
ですので仮に相手が「尽くしてくれる人が欲しい」と思っていたとしても、それはその人の感情の極一部でしかありません。
もしも「尽くしてくれるだけの人が欲しい」という感情しか持っていない人がいたら、私もそんな相手との恋愛はオススメしませんが、ちょっとくらい「尽くしてくれるだけの人が欲しい」という感情が混ざっているくらいであれば何も問題はないでしょう。
むしろ、もしも「尽くしてくれる人が欲しい」という感情が0の人が存在したら、そんな男性との恋愛はオススメ出来ません。
どう考えたって「尽くしてくれる人」は欲しいではありませんか。
その感情が0である方がもしも存在するとしたら、良し悪しはともかくとして、その人はかなり異常な方なので付き合う際にはかなりの注意が必要でしょう。
(オリジナルサイトで上野さんへ相談を送ることができます)
執筆者:ラブホスタッフ上野
都内某所のラブホスタッフ。
ツイッターで「ラブホテルに女性を誘う方法」を紹介していたこと
「ラブホの上野さん」(原案:上野・作画:博士 株式会社KADOKAWA〈MFコミックス フラッパーシリーズ〉)の原作を務める。
現在では自身のホームページやツイッターなどで活躍中。