RADWIMPS軍歌騒動に見る、日本の不必要な謝罪文化【芸能評論】
仕事をしていて客からのわけのわからんクレームに対し、謝罪しなければならないという経験をしたことは読者のみなさんはおありだろうか?
接客業をしている人は特に多いかもしれない。先月のRADWIMPS「HINOMARU」騒動はそういった理不尽さを思い起こさせる。
今回の騒動を知らない人のためにあえて蒸し返して説明すると、6月6日に発売された人気ロックバンドRADWIMPSのニューシングル「カタルシスト」に収録された新曲「HINOMARU」の歌詞が日本への愛国心を煽る軍歌のようでダサいという声がTwitterを中心に多数上がり炎上したというものである。
RADWIMPSといえば、大ヒット映画『君の名は。』の主題歌が一般的に最も知られているのではないだろうか。
前前前世から君を探しはじめた人たちのバンドである。見えないモノを見ようとして望遠鏡を覗き込んだお方たちではない。
おばさんおじさん世代には違いがさっぱりわからないかもしれないが、まったくの別物なので注意しよう。
さてそんなRADWIMPSの問題の「HINOMARU」なのだが、実際に歌詞を読んでみると「気高きこの御国の御霊」だの「日出ずる国の御名の下に」だの、なるほど古語を並べてそれらをファッション的に消費してるようで、こりゃ何の感銘もないしダサいしキモい。
そりゃアンチも騒ぐわけだわとは納得していた。
ただこのRADWIMPSというバンドは以前から「溢れた腑で縄跳びをするんだ」や「その身体に解き放った愛しの僕の精液をお願いよ取り返したいの」といった中二病的キモい歌詞、「I will die for you and I will live for you」って死ぬんか生きるんかどっちやねん、といったしょうもない歌詞も多く、今回の件だけで騒ぐのも如何なものかと筆者は思っていた。
そうこうしてるとびっくり仰天、批判の声が増え出すとなんと作詞しているボーカルの野田洋次郎氏は「傷ついた人達、すみませんでした」とTwitterであっさり謝罪してしまったのだ。
傷ついた人ってなに? べつに個人を誹謗中傷した内容でもないのに謝る必要がどこにあるのか。
「お前らはBUMP OF CHICKENのパクリだー」みたいな傷ついたファンがいたら謝罪したりするのかしらね。
言うまでもないことだが、表現者がどんなクソみたいな作品を出すのも自由だし、外野はそれ馬鹿にしたり貶したりするのも自由。
万人が喜ぶ歌なんぞ、そもそもがありえないのだ。アンチの批判の声にいちいち謝っていたらアーティストなど務まらない。
「この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です」なんて釈明するなら、まず本人がそんな日本人にならって表現の自由のためにアンチと戦い続けるべきだろう。
さらに野田氏はこの謝罪後のライブで「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と叫んでいたらしい。
そう思うならTwitterでそう書けよと。ライブだと味方しかいないからつい強気になってしまったのだろうか。
仲間同士の馴れ合いやファン同士の同調圧力。今回の騒動は本人の意図とは逆に、この国の醜い社会の縮図を見せつけられた気がする。
ライター/裸足のゲル
90年代パンクから日本の初期エモを経て、現在は「お洒落じゃないネオアコ」を求め日々ネットをさまよう音楽ライター。かわいいLINEのスタンプを集めるのが好き。