小室哲哉、実は介護をしていなかった?文春、執念の逆襲取材が面白い【芸能評論】
今年1月、音楽プロデューサーの小室哲哉(59)の不倫をすっぱ抜き、世間から非難の集中砲火を浴びた『週刊文春』(文藝春秋)。
1月19日に行った小室哲哉の引退会見名目の妻・KEIKO(45)の介護の辛さ暴露大会に、多くの人が同情した為、人でなしの烙印を押されてしまった。
さすがの週刊文春も、あれだけ叩かれたらおとなしくなるかと思いきや、7月4日配信の『文春オンライン』に”「小室哲哉は許せない」KEIKOの親族の怒りの告発”という記事を発表した。
この記事によると、小室哲哉はKEIKOの介護はほとんど行っていないという。しかも、現在は同居しておらず、会見後は電話で1度しか話をしていないとのこと。
何て酷い夫なんでしょう、小室哲哉は!
という感想を読者に抱かせる気まんまんな、やられたらやり返す、喧嘩上等の『週刊文春』らしい記事になっている。
さすが、センテンススプリング。
大衆に対し、「ボクらの方が正義ですしー」と示した。
ただ、小室哲哉に関して、誰か憤る人はいただろうかという疑問が湧く。中年以上の年齢の人なら、今までの小室哲哉のハチャメチャぶりは報道を通して知っている。
むしろ、愛妻を献身的に介護しているという報道の方に違和感を覚えていた筈だ。
そんな中、30代看護師とのニンニク注射密会がスクープされ、「ああ、やっぱり小室哲哉だった」と安堵した人もいたのではないだろうか。
筆者はそのクチだ。
女遊びが出来る程、元気だという知らせが届き、まだまだ自分も頑張ろうと思えた。青春を彩ったあの曲やあの曲を作った人が、老人に片足を突っ込んでいても、尚お盛んだというのは、勇気が湧くではないか。
あのスキャンダルは「お達者レター」だったのだ。
そして、半年の時を経て、また「お達者レター」が届いた。それが、今回の介護放棄だ。
文春は、実に良い仕事をする。小室哲哉のイメージを崩さない、良い記事。これぞ、小室哲哉。
そもそも、大衆は芸術家に優れた人間性など求めていない。クズでも鬼畜でも、素晴らしい芸術作品さえ生み出してもらえれば良いのだ。品行方正な芸術家など、面白くない。
普通の人と違うからこそ、輝く作品を生み出せる。常識にとらわれていたら、奇抜な作品など書けない。
小室哲哉は1月の会見でスランプであることも告白していたが、これだけ無茶苦茶が出来るなら、まだまだいけるのではないだろうか。
あの会見は、介護をする人が抱きやすい「辛いと思ってしまうことに対する罪悪感」を見事にくすぐり、共感の涙を流させた。
このシナリオを書き、カメラのフラッシュの中、演技をしたのだから、やはり小室哲哉は最高の芸術家だ。
そして、最高の詐欺師だ。
それを再確認させてくれた『週刊文春』の記事もまた、最高である。
また、今回の記事では、KEIKOの近況も書かれている。今も歌っているとのこと。1月の会見で語られていたような状態よりも、ずっと軽い。
近影もあった。マスクはしているものの、手入れがされていると分かる髪の毛に、血色の良い顔で安心した。
ただ、叶うなら、KEIKOの取材は、もうしないで欲しい。彼女が個人的にでも歌っているだけで、あの頃、彼女の声に震えた者の一人として嬉しい。
でも小室哲哉の方は、後世の資料の為にも、『週刊文春』に頑張ってもらいたい。破滅的な人間性も含めて、芸術家なのだから。
旭堂花鱗(きょくどう・かりん)/芸能コラムニスト
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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