木村拓哉の次女Koki,のデビュー、中年女を恐怖のどん底に陥れる【芸能評論】
一体誰がデビューを望んでいるのか分からない二世芸能人が、また誕生した。それは、木村拓哉(45)と工藤静香(48)の次女Koki,(15)だ。
5月28日発売の雑誌『ELLE JAPON』(ハースト婦人画報社)の表紙を飾るという鮮烈デビュー。さすが一時代を築いた「キムタク」の娘といったところだろうか。そこらの無名モデルに比べて扱いが格段に良い。
プロモーションを仕掛けた方は「あのキムタクの娘だから、きっと人気者になるだろう」と目論んでいるだろうが、見せつけられる方としては微妙な気持ちになってしまった。というのも、自分の加齢を思い知らされるからだ。
「あのキムタクの娘が仕事をする年齢になってしまった」
一気に現実を突きつけられた。テレビの中のキムタクは、多少、老けたもののピーク時から変わらず「キムタク」の演技をし、大衆を楽しませてくれている。
しかし、彼の娘は着実に成長し、嫌でも時の流れを感じさせられた。
分かっている。分かっているが、自分はもう若くないと思い知らされた。目の前にいる我が子や甥姪が成長するのは当たり前だが、青春時代のスターの子供が大きくなることが受け入れられないのだ。
加えて、Koki,の教育環境の充実っぷりを見せつけられると、いかに自分が子供にお金をかけてやれないかという現実も突きつけられる。
お金をかけてやりたくても、かけてやれない。石川啄木のあの俳句が頭の中でリフレイン。
週刊誌などの報道を総合すると、木村家の子供たちは、幼少時から外国語と音楽に親しませ、学校はインターナショナルスクールとのこと。家庭内の会話は英語で、その上、2017年には母親である工藤静香のアルバム曲も提供したらしい。
その一方、庶民は、やっと自分の奨学金を払い終えたと思ったら、今度は我が子の学費にヒーヒー。
芸能人と庶民を比べるのは馬鹿らしいとは分かっているが、日本は平等の国でない現実も見てしまった。格差は確実に存在する。
キムタクの大きな子供の登場は、初恋の君がハゲデブのオッサンに成り果てていたこと以上に中年女に突き刺さった。
そもそも、木村拓哉の現在の存在意義は、中年女の青春の思い出を引き出す為だけだ。演技が下手でも、バラエティ番組で気の利いたコメントが出せなくても、「あのキムタク」が頑張っているというだけで良いのだ。
木村拓哉が活躍しまくっていた90年代後半、まだ日本は元気があった。あの頃、青春時代を過ごしていたのは、団塊ジュニアから氷河期と呼ばれる年代。
「正社員になれないなら派遣社員があるじゃない」なんて、まだ余裕ぶっこいていられた。
しかし、無情にも時は流れ現在、青春も朱夏も通り過ぎ白秋。美容院ではカラーリングでなく、白髪染めをチョイスせねばならなくなっている。
その上、給料は上がらないのに物価は上がるという、教科書でしか知らなかったスタグフレーションが経験出来そうな社会状況。良いコトなんて起こりやしないと、無駄に積み重ねた経験から分かっている。
だからこそ、青春時代の思い出が大切になってくるのだ。中年女は、思い出を喰って生きている。その思い出の象徴が「キムタク」だ。
あの頃のキムタクは、本当に美しかった。元気な日本の最後のスターがキムタクだ。
お願いだ。せめて、夢を売る筈の芸能界だけは、我々中年女に厳しい現実を見せないでもらいたい。現実は日々生きているだけで、十分向き合わされている。
テレビやネットにもコンシーラーが必要になる状況は、耐えられない。
これは、中年女のワガママではない。日本の為だ。政府も言っているだろう。女性の活躍云々と。その為に、キムタクドリームを見させ続けて欲しい。
日本経済の復活の為にも、Koki,は、おとなしく深窓の令嬢をしていてくれ。
旭堂花鱗(きょくどう・かりん)/芸能コラムニスト
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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