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江戸時代なら死刑!?「日本の不倫」の歴史

DOKUJO独自の調査でも5人に1人が「現在不倫に悩んでいる」と答えるなど、身近な問題となっています。そんな「不倫」の問題はもはや個人の問題として捉えるだけでなく、社会問題として捉えなければいけないのかもしれません。

そこで今回は書籍「はじめての不倫学『社会問題として考える』」(坂爪真吾/光文社)を参考に不倫の歴史について見ていきましょう。

■古代~鎌倉時代「不倫は文化!?

古代の日本では夫婦は同居せず、夫が妻のもとに通う「妻問婚(つまどいこん)」が主流で、お互いが浮気相手=隠し女や忍び男を作るのが容易でした。平安時代も在原業平や源氏物語の光源氏などの存在からも分かるように、婚外の恋愛やセックスが社会的に非難されることはありませんでした。

不倫が裏切り行為として非難されるようになったのは、家の血筋を重んじる武家社会になり、一夫一婦制や嫁入り婚が婚姻の基本形態とされるようになってからです。

■江戸時代「不倫は死罪!」

江戸時代に発行された「御定書百箇条」によれば、密通(結婚していない相手との性的関係全て)罪は、男は引き回しの上、獄門、女は死罪になりました。一方、罰則がありながらも近松門左衛門の『曽根崎心中』という不倫や心中を題材にした人形浄瑠璃や歌舞伎が流行しました。

■明治時代「一夫一婦多妾制」と昭和・平成の不倫

江戸時代の側室制度から、明治31年まで一夫多妻制が認められていましたが、民法改正により一夫一婦制が確立しました。

戦後、新憲法の制定と民法改正によって、男女平等の理念が掲げられ、明治から妻のみにあった姦通罪という処罰は夫、不倫相手も等しく「不倫」「不貞行為」として責められるようになりました。

ですが、「不倫」という言葉が現在のような意味で使われるようになったのは、1983年ごろ。TBSのドラマ『金曜日の妻たちへ』が人気を博し、既婚者の婚外での恋愛やセックスを表す意味での「不倫」という言葉が世間的にも定着しました。

90年代後半、林真理子の小説『不機嫌な果実』、渡辺淳一『失楽園』、そして2014年フジテレビのドラマ『昼顔』など、この数十年間で「不倫」はメディアによって喚起され、大衆娯楽として認識されているのかもしれません。

 太古の昔から人間とともにあった不倫。江戸時代では「死罪」だったことには驚きました、現代は、死罪までは行かないとしても、プライベートを破壊させるかもしれない「不倫」。手を出さないほうが身のためです。

編集部
編集部

女性の生活スタイルやキャリア、社会的課題における有益な情報を提供したい。

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