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第16話「恋のフーリエ変換」・前編~連載・恥の多い恋愛を送ってきました

こんなに若くて頭も良くて美しい私が結婚していないなんて、
おかしいと思いません?


先日、友人との会話でこのような発言が飛び出し、
少々物議をかもす事となった。


さて、約1年ぶりの新作である今回は
『恋愛』そのものだけではなく、
『結婚』『キャリア』についても考察してみようと思う。

20代後半~30歳前後に移行しつつある筆者や周囲の者達は、
ここ近年特に著しく、人生の諸問題についてより真剣かつ現実的に考えるようになってきている。
『キャリア』『結婚』
という単語が自然に出てくるようになったこともその顕著な例だ。

『キャリア』『結婚』
この問題に関しては様々な説が出されているが
当事者の視点から全体像を語ったものはそう多くない。

そこで今回も毎度宜しく、極めて偏った集団からの事例ではあるが、
『三高女(高学歴・高身長・高年齢)』である、
キャリアと恋愛戦線の最前線に立つ当事者達(←自称)の視点より
この問題についてその価値観の推移を検討していってみよう。



■1.キャリアと恋愛への展望【想像から現実へ】

社会に出るのが若干遅れ気味な我々の場合、
そのぶん十分な熟成期間を経て、キャリア(と、恋愛)を見定め
世に飛び出さんとする。

だがこの段階では、まだ自身の可能性が未知数なため
その先に何があるのかは全く見当がつかない。
よって当然自身の将来像も明確には見えない。

そこにあるのは想像の域を出ない、だが無限に広がる自身の姿である。


◆キャリアにおいて(社会に出る前)

ある友人が、就職活動のアドバイスを求めてきたことがあった。
筆者は先に就職活動を終えていたのもあり、
自身の体験談を語り、経歴書の書き方、面接について熱く助言した。
自分の経験や知識を幾ばくかでも役立ててもらいたいと願ったからだ。

数週間後、その後就職活動はどうなっているのか聞いてみたところ
返ってきた返事はこのようなものだった。


『いや、経歴書を書いてみたんですがね、
ふと書きあがったものを見てみたら、
自分の輝かしい経歴に思わずウットリしてしまったのですよ

『就職活動のこの期間、辛いことがあるたびに
履歴書を思い返して自分を奮い立たせています


……。

経歴書の本来の用途からは少々外れてしまったようだが
まぁ自分自身を見つめなおすには僅かながら役立てたようである。

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◆恋愛において(社会に出る前)

就職活動終了後、友人の新社会人生活について話していた時、
経済面を考えてやはり社宅に入るのか?との問いに対しこのような返答があった。

『いえ、社宅は出ようと思います。会社の人の目があるんじゃ
言論の自由や男女交際の自由 など制限される恐れがありますからね。

……このように、
仕事だけではなく恋愛においても新たな出立点に立つその時、
これから起こりうる新たな可能性と未知なる将来の姿に心躍らせつつ
がむしゃらに目の前のキャリアや恋愛にぶつかって行く事となるのである。



■2.実際にキャリアを積んで【価値観の転換期】

いくら緻密にシミュレーションしているとはいえ、
実際に実地での経験を重ねていくにつれ、
その結果と想像していたものとの差異は
信条や計画の軌道修正を余儀なくする。
それらについて例を挙げてみよう。

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◆キャリアにおいて

実際に自身が社会に出てその厳しい環境下に身を置くことで
判断基準や将来の展望はより現実に則したものとなり、
自身のキャリアの方向性や可能性は、そこに照らし合わせて考慮するようになる。

もちろん他者に対しての判断基準も同様に明確になり、
この判断力はキャリアだけではなく恋愛上でも大いにその力を発揮させる。

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◆恋愛において

若かりし頃は優しさやルックス等で
簡易に熱を上げることができた筆者達だが、
実際に自身が社会に身を置くことで
それに応じた新たな判断基準が加わり、各々の基準の重要度も変化することとなる。
その一例を挙げてみよう。

『『家に入れ』というセリフは年収が私の3倍の男が言うのはアリですが
同じ稼ぎの男が言うのはナシですわ。』

これは就職後しばらく経って、ある友人が述べた一言である。

実際に自身も収入を得るようになると
その重要さを現実的に判断できるようになり
『一緒に生活を営んでいけるか否か』
という、社会生活を営んでいく上で最低限必要な基準を満たすことが
相手選びの大前提となる。


また『異性足りて礼節を知る』という諺の通り、
社会に出て男から、そこそこモテるようになると
そこで初めて己の価値観、信条に忠実に則った相手選びが可能となる。

(これは『選択』すること自体が不可能である
恋愛飢餓状態』では達することのできない領域である)

学生時代は『良物件があったら紹介しろ』と
頻繁に友人達に依頼していた筆者も、
社会人になり幾ばくかの恋愛が生じるようになると
独り身であったとしても、昔のように簡単には熱をあげにくくなった。
これはおそらく
『彼氏』そのものではなく
『自分の条件を満たす相手』を必要とするようになったからであろう。


ある時、友人が独り身であった筆者をコンパに誘ってきた時があった。
学生時代ならば喜び勇んで行ったであろうが、
自分の基準(知性萌え)がはっきり掴めてきてしまった当時としては、
不特定多数と会わねばならないコンパはあまり気乗りがしないものになっていた。

しかし、そう告げると友人はこう諭した。

『ピンポイントで狙いの集団を攻めるわけではないのでハズレも多いですが
数百人に1人は原石がいるかもしれません。』

ありがたいお誘い、かたじけない。
だが、私にとってコンパは社会奉仕活動みたいなものだ。
何故故に、わざわざ大枚を叩いてヴァカと会話をせねばならないのだ。


まぁ、たとえ知性が足らなくとも
見た目麗しい男達が私のことを褒め称えるような集いだったら
行ってもいいが・・・。

姐さん、それは金払って行くところですよ。』


そんなこんなで
キャリアの上でも恋愛の上でも理想と現実との狭間で葛藤し
そして見え始めた己の信条の下に、
意志を持って歩み出すのがこの時期なのである。

また上記例より判断できる通り、
よく『進学したり社会に出たりすると女は変わってしまう』と言われるが
つまりはそういった環境下に置かれることで
自身の判断基準がそこに適応しようとしているだけなのである。



後編に続く……

編集部
編集部

女性の生活スタイルやキャリア、社会的課題における有益な情報を提供したい。

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