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【プロが解説】講談と講談社って関係あるの?100倍楽しい講談入門

講談と聞いて、最初に何を思い浮かべますか?恐らく、演芸の講談ではなく、出版社の講談社を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

 

この講談社、実は演芸の講談と大きな関係があるのです。講談の隆盛を支え、そして衰退の一因にもなりました。

 

講談と落語、現在の知名度や人気度の違いはこの辺りもあるかも知れません。今回は、上方講談師である筆者がその辺りについて解説を致します。

 

講談社は元々、講談の速記本を出版していた

 

講談社はその名の通り、講談の速記本を出版していました。明治42年の創業時の社名は「大日本雄辨會」(だいにっぽんゆうべんかい)、明治44年に雑誌『講談倶楽部』を発行してから「大日本雄辨會講談社」と社名を変更。名前を変えてしまうほど、講談人気があったのです。

 雑誌『講談倶楽部』は、講談の速記を集めたものを最初は発行していました。

 

 速記とは何かと申しますと、講談を口述筆記したものです。

講談師が高座にかけた読み物を、速記者が書きとり、文章に起こす。最初はこのスタイルが取られていましたので、明治時代の講談の速記本には講談師と速記者、二人の名前が記してありました。

 

講談社だけが速記本を出していたわけではありません。その当時のありとあらゆる出版社から速記本は出版されていました。筆者の手元にあるだけでも、10社以上の出版社から速記本は出版されています。綿密に調べれば、もっとあるはずです。

 

☆ワンポイント☆

講談社『講談倶楽部』は昭和37年に廃刊。この頃、講談師の数も史上最低に。

 

 

速記本が大流行した理由

 

速記本大流行は、印刷技術の向上と義務教育の制定が時代背景にあります。

 

江戸時代までの浮世絵などで知られる木版印刷から、ドイツで発明された活版印刷が明治初期に導入され、それを応用したガリ版印刷も大正時代に広まりました。これにより本が安価になり、読書が庶民の娯楽のひとつになったのです。

 

識字率を上昇させた義務教育の存在も忘れてはいけません。現代とほぼ変わりない教育制度になったのは明治33年。

尋常小学校が無償化され、進学率がグンと上がりました。これにより、識字率もアップ。誰でも読み書き算盤ができるようになります。

 

こうなると、みんな本を読むようになるんです。テレビはまだ放送されていませんし、ラジオ放送は大正14年に始まっていましたが、まだまだ庶民の娯楽といえるものではありませんでした。

 

娯楽に講談の速記本を読む。それがトレンドだった時代もあったのです。

 

☆ワンポイント☆

昔の人が賢かったというのは、読書量の多さではないかと個人的に考えている。

 

 

落語の速記本も一応あった

 

講談の速記本が大流行したなら、落語もあるのではないかと思われるのではないでしょうか。実はあるんです。あるのですが、それほど大流行というワケではなかったようで。

 

現代でもパッと分かる明治時代から昭和初期の速記本の流通量は、ネットオークションやフリマアプリに出品されている数と値段でうかがえます。圧倒的に講談の方が多い。【落語 速記】で調べたとしても、講談の速記本が出てくるぐらいです。

 

これは、演芸としてどちらが優れているかというものではなく、落語は読み物として向いていないということでしょう。というのも、落語で重要になってくるのは「間」です。ちょっとの間で滑稽にもなり、白々しくもなる。これをお客さんは楽しむのです。

 

情報化された現代でも、寄席にお客さんが途切れないのも同じ理由です。『寿限無』や『時うどん』のストーリーは知っていても、その時にしか味わえない「間」があるからこそ、寄席に足を運ぶ。

 

落語は昔からライブを楽しむものだと庶民が知っていたので、個人で楽しむ速記本は流行しなかったのです。

 

☆ワンポイント☆

噺家は講談師に比べて愛想が良いというのも大きな違い。

 

 

講談速記本の大誤算と凋落

 

現在、講談に興味のある人はほとんどいません。存在すら知らない人も多いでしょう。お金を出して見ようという人は、本当に稀です。

 

こうなってしまった理由の一つが、速記本です。お客さんは元々、講談に興味があるからこそ、講談の速記本を読んでいたはずです。しかし、速記本を読んでストーリーが分かってしまったら、続きが聞きたくて講釈場に通っていたお客さんも講釈場から足が遠のく。本末転倒になってしまったのです。こうなると悪循環に。

 

一度、お客さんが離れていくと、再び呼び寄せるのは至極困難。その上、講談師はプロモーションが今も昔も下手です。修羅場読みや啖呵といった、話芸としての面白味も十分にあるのにも関わらず、それをアピールできませんでした。

 

加えて、太平洋戦争後、GHQによる占領統治により、仇討ち物の『赤穂義士伝』や『四谷怪談』など講談の上演が禁じられてしまいました。「冬は義士 夏はお化けで 飯を食い」と川柳に詠まれるほどの講談師のドル箱を召し上げられてしまったら、たまったもんじゃない。

 

更に、テレビ放送の開始も追い打ちをかけました。華やかな俳優や歌手に比べて、戦後直後の講談師はいかついオッサンばかりです。テレビ映えしません。

 

こうやって、講談は人々の記憶から消え去っていったのでした。

 

 

☆ワンポイント☆

許すまじ、GHQ。

 

 

100年ぶりの講談ブーム

 

平成最後の今年、100年ぶりの講談ブームが到来しています。東京の講談師、神田松之丞さんがラジオで大ブレイクし、今やチケットが取れない程の人気者に。

 

これで講談界全体が盛り上がってくれれば有難いのですが、そうは上手くいかないもので。今、人気があるのは講談ではなく、松之丞さん個人。現在のお客さんが松之丞さんに飽きたら、講談にも飽きるでしょう。

 

そうなる前に、ぜひ他の講談師も見ていただきたい。

 

現在、約80名の講談師がいます。それぞれ個性があり、それぞれ得意分野があります。女流も多く、意外と華やかな業界でもあります。読み物も古典から新作まで幅広く、バリエーション豊かです。

 

講談会に行けないなら、講談師を呼んでください。下手にテレビタレントを呼ぶよりもリーズナブルです。料金は筆者に問い合わせてくだされば、こっそりお伝えします。

 

講談、一度で良いので聞いてみてください。面白いんです。もっと可能性を秘めているはずなのです。その可能性を引き出す為にも、多くの人に知ってもらい、あれこれ意見を出していただきたい。

 

100年ぶりの講談ブームが一過性で終わらぬことを祈り、筆を置きます。

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旭堂花鱗

コラムニスト/コンテンツライター

広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。

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