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【毒舌独女】佐村河内守問題は、現代日本の歪みそのものだ!

DVD「佐村河内守 魂の旋律 HIROSHIMA × レクイエム」(日本コロムビア)

どうも。お久しぶりです。

少し冬眠から目覚めました。

初めましての方は、今後、お見知りおきを。

講談師(休業中)兼コラムニストの旭堂花鱗です。

いやぁ、また、体調が悪くて、かなり大変だったのよ。

「障害者年金が貰えないかしら」なんて考えていた時に、クラッシック音楽業界の大スキャンダルが発覚。

皆さんご存知の、偽ベートーベン・佐村河内守問題。

全聾の作曲家という看板を掲げ、大衆の同情票で有名になったアレ。

まぁ、聞こえなかったんだろうね。

自分に都合の悪い意見には、耳を傾け無いって意味で。

それにしても、騙されるバカの多いこと。

ゴーストライティングが明るみになった途端、手のひら返しが大層愉快であった。

大体、「全聾」と肩書きに付けている作曲家を崇めることが、貧乏人の発想だ。

普通の作曲家でも良いのに、それ以上の付加価値を求めているのだから。

テレビ通販の「今、お買い上げいただくと、コレがオマケに付いてきます♪」というのと同じ感じ。

その「オマケ」って、本当に欲しい物でもないのに、タダだから貰おうと。

その考え方が、貧乏人。卑しい。

そもそも、現代日本は、障害者を無駄に持ち上げる傾向がある。

支配欲の強い連中が、障害者を「可哀想な人」と位置付け、彼らを特権階級に仕立て上げた。

ただし、地道にコツコツといった障害者には、特権を与えない。

パラリンピックへの注目度の低さが、それを物語っている。

障害者に求めているのは、「天才」や「奇跡」のみ。

いつまでも「可哀想な人」であってもらわないと、支配欲が満たされないからね。

しかし、「可哀想な人」のまま、「天才」や「奇跡」を求め、社会に放り出すのは虐待に等しい。

「全聾の作曲家」なんて、最たるもの。

絶対音感を持つ中途失聴者であっても、音の情報は日々更新していかないと、自分の発声すら困難。

私は一時期、左耳が難聴になったことがあるので判る。

全聾の作曲家は無理設定だと。

この無理設定を大衆に見せつけ、受け入れさせること自体が障害者差別ではないだろうか。

「出来ないことは出来ない」と障害者も健常者も認められない状態では、本当の意味でのバリアフリーは夢のまた夢。

これと同時に、無理設定を承認させることにより、NOと言えない日本人が更に増えることとなる。

支配欲の強い人間の思う壺。

無理やり頑張らさせ、達成した際の高揚感で人を操る。

これじゃあ、いつまで経っても、ブラック企業や社畜が減らないわな。

つまり、佐村河内問題は、単なるゴーストライティングや障害者年金不正受給疑惑に留まらないというコト。

日本社会の生き辛さや、芸術芸能を含めたデフレの原因の一つを具象化したものであると、私は捉えている。

あと、ネット上の噂に過ぎないが、佐村河内一族に「守」という人物はいないとのこと。

加えて、何故か、海岸沿いに希少姓の人が増えているとも。

この問題、想像以上に闇が深そうだ。

旭堂花鱗

コラムニスト/コンテンツライター

広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。

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