【毒舌独女】私たちの未来かも知れない、山口美江の死
どうも先週末から、体調が優れない。
お腹はピーピー、吐き気がうえっぷ…。
立って歩くのも辛い状態。
病院なんて、行けよう筈も無い。
つくづく、病院とは健康な人が行く場所だと思ったね。
病院に行けるだけ、元気なんだから。
私は一人暮らしなので、看病してくれる人が居ない。
ネコのきくちゃんが居るけれど、「おかあしゃん、大丈夫?」と心配してくれるだけ。
リンゴをむいてくれたり、薬を買ってきてくれたりはしてくれない。
腹を抱えながらうずくまり、朦朧とする頭に過ぎったのは、「孤独死」という文字。
慌てて打ち消し、妹に電話。たすけてー
とりあえずの薬と食料、ポカリを持ってきてもらい、「大丈夫?」と心配してもらう。
これだけで、少し良くなった気がした。
でも、誰かと今更、一緒に暮らすというのは、何となく非現実的。
超お一人サマな性格な私が、誰かと住めるワケもない。
だから、死ぬ時は一人なんだろうな、と考えることがある。
5年前に病気が発覚して、4年前に休業してから、その思いは強くなった。
3月7日に亡くなった山口美江も、そう考えていたのではないだろうか。
モデル、キャスター、タレント、実業家、と様々な顔を持ち、華やかに見えた彼女。
けれど、最期を看取ったのは、彼女の唯一の家族である犬だけ。
彼女も、私たちと同じ女子。
仕事に恋に、一生懸命だった女子。
私は彼女に憧れていた時期があった。
彼女の的を射た毒舌が好きだった。
小気味が良い。
恋多き人でもあった。
熱愛報道を見る度に、私までドキドキした。
多くの男性と恋に落ちながらも、誰とも結婚しない彼女が、カッコ良く見えた。
自立した女は、こうあるべき!というお手本のようだった。
その人が、孤独死した。
自分の未来を見たような気がした。
私の亡骸に寄り添うのは、ネコだけ。
孤独死が悪いとは言わない。
数ある「死」の選択肢の中の一つだ。
ただ、今、女子を満喫している私やオマエらの中に、孤独を恐れる気持ちは無いかと問うてみる。
好きな人に手を取られて逝く、最愛の家族に囲まれて逝く。
それが叶わない状況を、自分達で作っている、私たち女子。
「まだアラサーだから、もしかすると結婚するかも知れないしー」と余裕をぶっこいている間に、直ぐアラフォー、アラフィフになるぞ。
今年から、私はアラフォーだ。
病状は、一時よりかは良いぐらいで、健康とは言い難い。
ハッキリ言う。
私は一人で死にたくない。
母のように、大好きな家族に囲まれて逝きたい。
山口美江のような、死に方はしたくない。
失礼なのは承知の上で書く。
孤独死はしたくない。
だから、周囲からは面白可笑しく見えるだろうが、婚活をしている。
人生のパートナーを求めて。
超お一人サマな性格も、徐々に直していきたい。
山口美江の死は、そう思わせるだけの衝撃があった。
51年の短い生涯を駆け抜けた、女子の先輩の冥福を祈る。
今回は短めで、ごめんね。
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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