【毒舌独女】なぜ、芸能人は正月にハワイに行きたがる?
海外に行く人も増えている日本の正月。
殊、芸能人は海外、特にハワイで過ごす人が多い。
飛行機で約7時間もかかるのに、ご苦労なこった。
それだけの時間をかけてでも、行きたい魅力がある土地なのだろう。
温かくて、日本語も通じて、ご飯も美味しいし、ショッピングも楽しめる、気軽な海外。
唐突だが、日本人のハワイブームは、明治初期まで遡る。
ハワイ王国と明治政府が日布修好通商条約を結び、日本人をハワイに移住させることからスタート。
この時の謳い文句が、「3年で400円稼げる」というもの。
今の貨幣価値に換算すると、約400万円。
当時、日本は江戸幕府から明治政府へ変換した混乱期で、深刻なインフレ状態にあった為、このキャッチコピーは魅力的なものに映り、多くの人が参加を希望し、ハワイに渡った。
第一次ハワイブームの到来だ。
だが、約束されていた賃金には届かず、殆ど奴隷状態だったという。
そんなコトは知らされない日本本国では、ハワイアンドリームを求めて、応募が殺到。
ハワイ国が米国に吸収され、移民法が成立するまで、日本人のハワイへの移民は続く。
この子孫が、現代にも残る、ハワイの日系人。
第二次世界大戦中は強制収容所に入れられるなど、私たちが計り知れない苦労をして、ハワイにおける日系文化の礎を築いた。
ハワイで日本語が通じ、日本人の口に合う食事が出るのは、彼らのお陰なのだ。
先人に感謝。
第二次ハワイブームは、戦後間も無く起きる。
昭和23年、岡晴夫が歌う『憧れのハワイ航路』が大ヒット。
焦土と化した日本の国民は、まだ見ぬ、南の島に思いを馳せる。
しかし、当時は渡米するだなんて夢のまた夢。
歌と映画の中のハワイに、憧れを募らせる一方だった。
遂には、昭和40年代、行けないなら日本にハワイを作ってしまおうと、映画『フラガール』で脚光を浴びた常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアン)のような施設が、乱立するまでになる。
また、昭和51年には、NHK『みんなの歌』で発表された『南の島のハメハメハ大王』が流行歌に。
そんな中、大スター・石原裕次郎がハワイを気に入り、何度も渡航するというのが話題になる。
庶民は到底、払える筈も無い旅費を出し、時には年に2度以上も渡っていた。
「さすがスターは違う」と、石原裕次郎のスター性が高まったこともさることながら、「スターになれば、ハワイに行ける」と思う芸能人が増えた。
これが、芸能人のハワイ好き、ハワイ正月のルーツだ!
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いやはや、長くなってしまった。
端的に説明すると、石原裕次郎にあやかって芸能人はハワイに行くんだけど、石原裕次郎がハワイを気に入るまでの経緯も必要かなと思って、長々と書いたんだ。
読んでくれて、有難う。
調べてみると、日本人のハワイブームは約150年も続いているのだから、すごいもんだ。
現代史になってからでも、約60年。
もはや、日本人のDNAにハワイ好きが組み込まれていると言っても良いぐらい。
ハワイ人も日本が好きで、ハワイ王国の頃、米国に吸収されるぐらいなら、日本の布哇県になろうとしていたという話もある。
もし、そうなっていたら、逆に現代まで続くハワイブームは起きていなかったかも知れない。
遠く離れ、あまり情報が入ってこなかったからこそ、ハワイブームは継続してきたのだと想像に難くない。
私も一度は行ってみたいな。
南の島で、のんびり。うっとり。
ハッ!
このコーナーは『毒舌女子のつぶやき』なのに、全く毒っ気が無いじゃない!
ヤバいわよ!!
ちょっとだけ、毒吐こうか。
今の芸能人は、石原裕次郎にあやかったって、石原裕次郎級のスターにはなれっこないわよ!
身の程を弁えなさいよね!
今回は、これぐらいでご勘弁を。
来週から、通常営業に戻ります。
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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