【毒舌独女】後藤真希の活動休止に思うこと
歌手の後藤真希が、今年一杯で芸能活動を休止すると発表した。
公式ホームページに、丁寧に書かれた直筆のコメントで報告。
そこには、母親を亡くした喪失感、普通の自分に戻りたいなど書かれていた。
自分のために生きたいとも。
華々しく1999年『ラブマシーン』でデビューした彼女は、もう居ない。
母親という、最大のファンと精神的支えを失ったからだ。
母親を亡くすということは、傍が思っている以上に、辛く重たい事実。
自分を生み出したモノ、原点が無くなる。
それが、母親の死。
決して切れない「縁」、絶対的な存在であるのが母親。
その「絶対」がなくなった今、何を目標に歩けばいいのか判らなくなっているのが、現在の後藤真希ではないだろうか。
最愛の人との永訣を乗り越えるには、時間が必要。
しかし、芸能人として働く彼女に、心の傷を癒す時間が取れなかったように思える。
歌手・後藤真希の仮面を被り続けなくてはならず、一人の娘に戻る時間が無かったのでは。
それを垣間見られるのが、彼女の最近の楽曲だ。
パワフルな曲を歌っていても、どこか儚げで消えてしまいそうな印象がある。
メイクやダンスでは誤魔化せない、寂しさも感じられた。
モーニング娘。やハロープロジェクトで活躍していた頃と比べて、技術は向上していても、明らかなパワーダウン。
光が失われている気もする。
それは、彼女自身もよく判っていると察する。
だからこそ、今回の活動休止発表に繫がったのだろう。
彼女に影を落としたのは、母親の死だけではない。
弟・ユウキの強盗での逮捕も大きな影を落とした。
これにより、それまで所属していたアップフロントエイジェンシー(ハロープロジェクト)を退社。アイドルを辞め、一時期、表舞台から姿を消した。
犯罪者の家族が背負うものは、それだけ大きい。
世間の目は厳しく、家族への風当たりは強くなる。
例え、身近な人間が気にしていないといっても、本人たちの苦悩は計り知れない。
実際に罪を犯していなくても、罪を犯した気になってしまうのだ。
何故、側にいて気付かなかったのか。
何故、止めることが出来なかったのか。
これが「罪」だと錯覚してしまう。
罪を犯したのが、成人した家族であっても、だ。
ある意味、犯罪者の家族も被害者である。
後藤真希は典型的な被害に合った。
これが、アイドルとして伸び悩んでいる時期と重なったのも、不運だ。
ソロ活動をしていても、いつまでも付いて回る「元モーニング娘」という肩書き。
彼女の代表曲は『ラブマシーン』。
確かに、彼女は日本で一番のアイドルグループの顔だった。
『ラブマシーン』は、当時、オッサンもオバハンも知っている、国民的な歌だった。
だけれども、彼女は「後藤真希」として活躍したかった筈。
モーニング娘。のカラーを払拭出来るだけの楽曲に恵まれなかった。
これも不運。
不運に不運が重なり、活動休止という決断に至ったのではないだろうか。
また、彼女に不運を乗り越えられるだけの気力が無くなってしまったのも原因だろう。
私は特に彼女のファンというわけではないが、『ラブマシーン』では元気をもらい、ソロ曲でも気に入っている曲があるだけに、少し残念だ。
残念ではあるが、私は彼女の活動休止を応援したい。
伸びやかに、楽しく、多くの人に元気を与える存在であった後藤真希。
アイドルだった彼女から元気をもらった分、今度は彼女が元気になれるよう、気持ち良く送り出してあげるべきだと考えている。
普通の自分に戻ってみて、真っ直ぐ自分の道を歩いていってもらいたい。
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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