【毒舌独女】異形のモノ、マツコ・デラックス
人は何故、異形のモノに惹かれるのだろう。
それを見世物にしたり、神と崇めたり。
扱われ方は、時代や土地の風習により変わる。
この21世紀の日本にも、異形のモノが現れた。
その名も、マツコ・デラックス。
身長178cm、体重140kg、3サイズ上から140・140・140と、何とも福福しい体躯。
不気味とも取れる風貌に、性を超えた存在。
これを、異形のモノと言わずして何と言う。
デブは優しいという「神話」を打ち砕くべく、この世に光臨あそばされた。
辛辣なそのお言葉は、等しく森羅万象に浴びせかけ、澱みたる衆生の眼に光を与えたもう。
ひとたび、そのお姿を目にしたなれば、ハハッとひれ伏すより他は無い。
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初めは、本当に直視出来なかった。怖かった。
私の中でのマツコ・デラックスは、巨漢ドラァグクイーンとしての印象が強い。
ドラァグクイーン(DragQueen)とは、ゲイの男性がする女装の一種。
だが、女になる為の女装に非ず。
女という性を痛烈にパロディ化し、性指向の違いを訴えるパフォーマンス。
目や唇を強調したこってりメイクに、露出度の高いドレス。胸にはタップリの詰め物を。
更に、デフォルメされた女の姿で男を誘う妖艶な大仰な動き。
女に真実の鏡を突き付けるパフォーマンスでもある。
【ほら、女ってこんなに醜いのよ】
【ほら、女ってこんなに滑稽なのよ】
マツコ・デラックスは、女である私の根本を揺らがした。
男性である彼女に、偽りの姿を見抜かれたような気がしたのだ。
女の隠したかった部分を、白日の下に晒すのがドラァグクイーンともいえる。
マツコ・デラックスは、パフォーマンスだけのドラァグクイーンでは終わらなかった。
衣装を脱いでも、女の汚さやズルさを言葉で表す。ズバズバと、ザクザクと。
この手の人は、好き・嫌いがハッキリ分かれる。
けれど、多くがマツコ・デラックスを受け入れた。
それは、彼女の言葉が正論であると共に、彼女が異形のモノであるからだ。
ヒトは異形のモノに対し、畏怖の念を抱く。
人智を超えた存在であるから、スゴイかキモチワルイの両極端な扱い。
マツコ・デラックスは、見世物にはならなかった。
パフォーマンスのドラァグクイーンで終わらなかったように。
何でも曖昧に済ます日本で貴重な存在、バカにバカと指摘出来る言葉の神となった。
決して、ネ申と申すなかれ。罰が当たろうぞ。丁重に奉れ。
私がここまで書くには理由がある。
白泉社発刊のマンガ『ガラスの仮面』キャンペーンで、マツコ・デラックスは登場人物の一人、
月影千草に扮していたのだが、これが私のイメージそのまんま。
ものすんごく、私は『ガラスの仮面』のファンだ。信者と呼ばれても良い。
作中、ヒロインたちの師である月影千草は、私の心の師でもある。
私も月影先生に指導を受けたいよぉ…。
しかし、マンガはマンガ。架空の世界の出来事。いくら願っても、月影先生は存在しない。
と思っていたら、あの圧倒的迫力の月影先生が本屋に居るじゃない!?
月影先生は私にとって神も同じ。
ポスターからも漂うオーラ。思わず、その場で手を合わす。ありがたや。
おう、ぶっちゃけるぜ。
マツコ・デラックスが月影先生のコスプレをしていなかったら、バッサリ斬るか笑いの対象。
最近の彼女のコラムやエッセイは、確実にパワーが落ちている。
アラフォーの落ち着きといったモノでは無い。明らかな手抜きも見られる。
なーんてコトを細かくネチネチと、ここで書いていたと思う。
それが、月影先生コスで帳消し。私の心の師が憑依したような姿、本当に有難う。
何か気分的に負け。マツコ・デラックスに先手を打たれた感じがする。チッ
まぁ、いいか。あのポスター、本屋に頼んで貰おう♪
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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