【毒舌独女】実写版『イチゴの日』なのか!?ゴリ押し・剛力彩芽
筒井康隆の短編小説『イチゴの日』をご存知だろうか。
どうしようもなく醜い女の子を、マスコミの力で世紀の美人に仕立て上げ、本人にもそう思い込ませ、18歳の誕生日に壮大にネタばらしをするというストーリー。
コンサート会場で、観客がブスと大合唱。
大変、胸糞が悪い。
この物語を思い出したのは、テレビなどで剛力彩芽をよく目にいするようになったからだ。
彼女も『イチゴの日』同様、マスコミの力でトップアイドル女優になった。
一般的美人でないにも関わらず。
最初に私が、彼女を意識したのが、auのCM。
アニメ『巨人の星』のキャラクターと共演しているやつね。
サザエさんでいう「花沢さん」ポジションだと思っていたら、まさかの「カオリちゃん」な美人設定。
CMはいくつかバージョンがあったが、全てが美人設定。
他のCMも、美人設定。
テレビに出ている「美人設定」の女優やタレントは、多少の好みはあれども、綺麗な人ばかりだ。
なのに、私は剛力彩芽が綺麗だと思えない。
そこで、同志を求め、ネットの海に乗り出した。
安心した。
検索予測の時点で、私と同じ気持ちの人が多くいると判った。
・剛力彩芽 かわいくない
・剛力彩芽 ぶさいく
・剛力彩芽 ゴリ押し
etc…
思っていた以上に、好かれていない。
その最大の原因は、ゴリ押し。
ゴリ押し≒押し付けであり、自由選択を制限するもの。
自由を阻むものに対し抗いたくなるのは、人の常。
なので、マスコミが「可愛い!」「美人!」と持て囃せば持て囃す程、反発を招く。
更に、剛力彩芽は本当に微妙フェイスなので、ますます反感を抱かれるようになる。
ただ、これは巧妙な炎上マーケティングの可能性が。
わざと万人受けしない女優を明白なゴリ押しで露出させ、反感を買うことにより知名度を上げる。
インターネットが発達した現代だからこそ成しうる方法だ。
2ちゃんねるなどで『剛力彩芽って、実はブサイクじゃねwww』とスレッドを立てて煽っているのは、事務所の関係者のような気がする。
その証拠に、昨年12月31日まで乱立していた剛力彩芽スレッドが、年明けからパッタリと見なくなった。
どうやら、年末までの契約だったらしい。
ご苦労さまでした。
判らないのは、何故、彼女をそこまでゴリ押しするのか。
『イチゴの日』では、醜女を嘲笑う為だった。
しかし、剛力彩芽はブスでない。
美人でないだけ。
新しい美的感覚を一般に広めようとしているのであれば、ゴリ押しをすべきでなかった。
着実に演技力を付け、演技で美人に見せられるよう、事務所は指導すべきだった。
立ち振る舞いや発声法で、雰囲気美人にいくらでもなれるのに。
演技力がないまま、美人の役をさせても、笑い者にしかならない。
彼女主演のフジ月9ドラマ『ビブリア古書店の事件手帖』も、美人の役。
ヒロインの篠川栞子は、現在、事務所が設定している彼女のイメージと真逆の役柄。
コケる未来しか見えない。
このドラマがコケたら、手のひらを返す連中が徐々に増えていくだろう。
やっていることは、『イチゴの日』と同じだ。
小説なら、「うわー、エグいなぁ」で済む。
でも、彼女は現実世界の住人。
非難も耳に届く。
可哀想になる。
彼女は新成人。
やっと、オトナの仲間入りをしたところ。
そんな世間知らずの女の子の人生を弄ぶ輩は、タンスの角に足の小指をぶつけてしまうがいい。
剛力彩芽自身は、これから本格的に社会人として活動をするのであるから、周囲に振り回されるだけでなく、セルフプロデュースも出来るようになってもらいたい。
自分の強みを見つけ出し、同時に、欠点を補えるようレッスンを積み、素敵な女優になって欲しい。
リアルな『イチゴの日』は見たくないんだ。
頑張れ。
コラムニスト/コンテンツライター
広島県安芸郡出身、大阪府高槻市在住。恋愛記事から豆知識、果てはビジネス文書まで幅広く執筆するライター。古典芸能に携わっていた経験もあり、日本文化について少し詳しい。文芸春秋『週刊文春』に載せてもらえたのが人生の自慢。
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